洋の東西を問わず市場は神の手に委ねられるらしい。

最近、実家に帰る機会があると、自宅に帰る際に残していた蔵書を少しずつ持ち帰るようにしています。おかげで自宅で古い本を読む機会も増えたのですが、問題は本棚がない。そろそろ限界なので、なんとかしたいのですが、中途半端な本棚を買うとすぐに溢れてしまいそうなので、自作するしかないかなと思っています。とりあえず文庫本専用なら2×4材で簡単に作れるので。

この週末もだいぶ前に読み終わっている本を読みなおししていました。網野善彦『歴史を考えるヒント』というやつ。網野善彦の著作は学生時代に読み漁った時期がありました。あと阿部謹也。(ただし、阿部謹也と網野善彦の対談本は面白いくらい両者の話が噛み合わない)で、大体の話は記憶に残っていたので、確認するように読んだのですが、金融の話はすっかり忘れていた。市場の成り立ちや金融の成り立ちから言って、そもそもの金融市場では元本を超える利息は取らないという原則だったのが、寺社の代行として金融をやっていた人たちの中から複利を取るようになったとのこと。なので、僕らが中高で学ぶ「徳政令」では、この複利によって暴利を得る金融業者が対象であり、寺社直轄の定率利子で行われていた金融取引は徳政令の対象にならなかったことが書かれていた。なるほどなー。全部の借金を帳消しにしちゃったら、そりゃぁ寺社は黙ってないよね。強訴だ強訴。そこに宗教的根拠を設定するところがまた面白い。

金融や市場と宗教というのは、洋の東西を問わず結びつきが強かったりする。本来は一番縁遠そうなんですけど、両者に共通しているのは、どちらも実体を伴わないことが多く、概念的というところでしょうかね。ユヴァル・ノア・ハラリも宗教に代表される概念的な組織とその物語を共有できるところに人類のユニークさがあると言っていたので、どうやらそこら辺に鍵がありそうです。そういう視点から経済と宗教を捉えた本が読みたいなと思った次第。